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【番組概要】
放送を通じて教育の機会均等と振興に寄与することを目的として、昭和42年文部科学省の認可を受けて設立された、民間放送教育協会(民教協)。民教協では毎年1年に1度、ドキュメンタリーのスペシャル番組を制作しています。全国加盟局の応募作品から、今回 「メ~テレ」 の企画が選ばれ既存のネット系列を越えた全国33局で放送されます。
メ~テレは第21回「正倉院の調べは遥か雲南の谷に~西南シルクロード雅楽の旅~」以来の制作となります。
メ~テレは日中国交正常化前から新生中国の単独取材が許可され、貴重な映像を数多く保存しています。そのきっかけとなった1971年3月、名古屋の愛知県体育館で開催された 「世界卓球選手権大会」。そして、いわゆる 「ピンポン外交」 の立役者で卓球世界3連覇を成し遂げた「荘則棟(そう そくとう)」…その荘と、この時名古屋で出会い、のちに妻となった佐々木敦子さんの波乱万丈の人生を描いていきます。
佐々木敦子さんは、1944年旧満州で生まれました。終戦後も獣医だった父親が家畜の伝染病の研究のため家族で中国に残ることになり、未開の中国西域に移り住みました。父親が過労のために死去し、22歳ではじめて日本で暮らし始めます。敦子さんは祖国での暮らしに馴染めず、心は中国を求めていました。そんな時に名古屋で荘と出会ったのです。
彼女ほど、国家に人生を翻弄され続けている人物がいるだろうか。佐々木敦子(70)は、戦争中に旧満州で生まれた。終戦後、獣医だった父親は大陸に残り「新中国」の建国に協力。敦子は中国人社会に溶け込み、18歳まで中国共産党の教育を受けて育った。その頃の中国が、敦子は好きだという。
「人々は建国の精神に溢れ、輝いていた」
日中戦争、中華人民共和国の建国、大躍進運動に文化大革命。敦子は激動の中国近代史を「内側」で経験した数少ない日本人だ。
名古屋で開催された卓球大会で敦子は荘と知り合い、「日中友好に貢献を」と助言される。その言葉に従い、敦子は商社の中国駐在員となり、日中貿易を担当した。
そして、北京で荘と再会する。二人は恋に落ちるが中国政府は結婚を認めなかった。結婚は1年後に許可されたが、敦子に過酷な条件が課せられた。日本国籍の放棄だ。
許可が出るまで、中国はビザを発給せず、敦子は日本に強制的に帰国させられた。身を裂かれる思いの敦子は、荘と100通に及ぶ手紙を交換し、心を繋いだ。最終的に結婚を許可したのは、当時の最高実力者、鄧小平だった。敦子は訝る。「個人の結婚に、なぜ国が介入するのか」
2013年2月、荘則棟が死んだ。
荘は2008年に「直腸がん」が見つかり、日本での治療に最後の望みを賭けていた。しかし尖閣諸島を巡る問題に渡航を阻まれてしまう。荘が亡くなったあと、中国の当局は荘の葬儀を禁じると告げてきた。文革の時、権力の側に身を置いた荘。
「弾圧の協力者」の烙印は消えていなかった。
中国という「国家」に絶望した敦子は、日本で暮らすことを決意する。その一方で、
悲しみの淵から救ってくれたのは中国の友人たちだった。10代を過ごした中国西域の町、張掖(ちょうえき)を訪ねた敦子を、同級生たちが優しく包み込む。国と国の関係を超えた友情は50年前も、今も変わってはいなかった。同級生との分かれの時、敦子は呟く。
「中国には友がいる。私は幸せかもしれない」
敦子は北京と東京の両方に荘の墓を立てた。北京の墓標は、敦子が中国大陸に刻んだ「英雄の証」。東京の墓は、敦子が日々参るためのもの。「自分が死んだら、東京の墓で一緒に眠りたい」
それが敦子の今の望みだ。荘との結婚と引き換えに失った日本国籍は今もなく、敦子の国籍は中国のままだ。日本と中国。二つの国の間で敦子の人生は、どこへ向かおうとしているのか。
【登場人物】
◆佐々木敦子 70歳 卓球の元世界王者・荘則棟の妻
[略歴] 1944年、旧満州の奉天(現在の瀋陽)で日本人両親の間に生まれる。獣医だった父親は終戦後、新中国の建国に協力するよう求められ、家族と共に大陸に残留する。甘粛省などの僻地で家畜の伝染病予防に尽力するが父は過労から40代で急死。母と敦子ら6人の姉弟は父の死の5年後、1967年に帰国する。
帰国後、敦子は母の郷里、島根県江津市で暮らし始める。テレビの製造工場で働くが、「シナ帰り」と蔑視されるなど、日本での生活に馴染めずにいた。その折、名古屋で開催される世界卓球選手権に中国チームが参加することを知り、中国人と話したくて夜行列車で名古屋に駆けつける。「アポなし」で名古屋の宿舎に飛び込んだ敦子に応対したのが荘則棟だった。
その後、商社「イトマン」に入社した敦子は日中貿易の担当となり、次々と実績を上げ、日本人初の女性海外駐在員として北京に赴任する。そして知人を介して荘則棟と再会。恋に落ちる。
◆荘則棟 2013年2月没。中国の元卓球世界王者、元スポーツ大臣。
[略歴] 1940年、江蘇省揚州市の一般家庭に生まれる。高校生の頃に卓球の中国代表候補になる。1961年の世界選手権でシングル優勝、その後も2大会連続で世界王者となる。71年の名古屋大会でアメリカの代表選手と握手したことが米中関係の改善に繋がり、1974年にスポーツ大臣となる。1976年に四人組が逮捕されると、協力した咎で投獄され、中国の卓球界から追放される。1985年に北京で敦子と再会。1987年に国から結婚を許され、再婚。2008年に直腸がんが見つかり2013年2月10日、逝去。書道の大家としても知られる。
【ナレーション】
◇ 常盤貴子
女優 91年デビュー。
テレビドラマ 「愛してると言ってくれ」(95年)、
「ビーティフルライフ」(00年)、「カバチタレ!」(01年)、 「流転の王妃・最期の皇弟」(03年)、
大河ドラマ「天地人」(09年)、「TAROの塔」(11年)、 「ゆりちかへ ママからの伝言」「とんび」(13年)など数々の話題作に 出演。
映画では「赤い月」(04年)で第28回日本アカデミー賞主演女優賞を受賞。「20世紀少年」3部作(08~09年)、「野のなななのか」(14年)などに出演。
3月30日から放送スタートのNHK連続テレビ小説 「まれ」 にヒロインの母役で出演。
編集後記
【制作者より】
ディレクター:村瀬 史憲 (メ~テレ(名古屋テレビ放送))
私が佐々木敦子さんに初めてお会いしたのは、夫の荘則棟さんが亡くなって間もない2013年の春でした。
最愛の夫を亡くした悲しみに暮れる一方で、敦子さんは、自身と中国という国との関わりを語ってくれました。旧満州に生まれ、家族で大陸に残ったこと、中華人民共和国の創生期に立ち会ったこと、青春を「新中国の建設」に捧げたこと。それまで知識として知らなかった史実が、皮膚感覚を通して伝わってくるような衝撃を受けました。「敦子さんの体験を映像化させてください」。そこから取材交渉が始まり、約2年に渡ってカメラを回してきました。
もともと日本人である敦子さんが、数奇な運命を辿ることになった要因は、戦争です。今年は終戦から70年。敦子さんの年齢と、ほぼ重なります。敦子さんの人生を通して、日本と中国の間にある複雑な「結びつき」を改めて感じていただければと思います。