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第28回民教協スペシャル再放送決定!!
再放送が以下の日時に決まりました。
BS朝日 2014/7/5(土)15:00~15:55
是非ご覧ください!
戦争と芸術。
この巨大な主題のもとで、戦時中、多くの画家たちが国家のために戦争記録画を描いた。
中でも、画家・藤田嗣治は、玉砕相次ぐ敗色濃厚なときにあっても、「戦争と芸術」というテーマに立ち向かい、そのために、藤田は異国の地に去り、生涯日本に帰ることはなかった。
敗戦後、戦争記録画は軍部のプロパガンダと貶められ、現在まで、一堂に公開されることもなく美術館の倉庫に保管されている。戦争画の実像が見えづらいのと同様に、戦後の日本で、藤田嗣治の実像も見えづらかった。
「結局私たちは成すべきことをなして破れたので決して後悔はしません。やはりああ言ふ道を渡らなければならなかった運命に生まれたのだったと思います。」
(1945年8月31日付の手紙)
藤田嗣治が友人に宛てた未公開の手紙には、戦争に翻弄された画家の流転の生涯がにじむ。藤田の心情を読み解き、「画家は戦争や国家とどう向き合ったのか」、「敗戦を境に日本に何が起きたのか」、その一端に迫る。
「戦争が烈しい間はいいものができます。戦争がすんだらもう描けません。僕たちもよく描きました。しかし最後の画こそ真剣にかく画でなくてはならぬと思って自重しています。生きのびて、この光景を残さなければなりません。」
(1945年6月30日付の手紙)
渾身の力を込めた絵画が、そのまま戦争協力に短絡され、長らく批判にさらされ続けた藤田嗣治。手紙には戦争と芸術の悲劇的な関係とともに、責任を他人に押し付けて恥じない日本の戦後思想の原点が浮かび上がる。
◆藤田嗣治
(ふじた・つぐはる=1886-1968)
東京生まれ。
父親は陸軍軍医で、同じく軍医だった文豪・森鴎外の後任として最高位の軍医総監を務めた。
少年時代から画家を志していた藤田は明治43年東京美術学校洋画科卒業。大正2年(1913)に渡仏。無名だった藤田はピカソやモディリアーニら各国の若い画家との交流で刺激を受け、貧困の中、「1日18時間、絵筆を持った」と語る努力と、乳白色のマチエールと独特の線描で、たちまち「エコール・ド・パリ」(パリ派)と呼ばれる画家の代表格に上りつめた。
その後、第2次世界大戦が始まると、日本へ帰国。美術による戦意高揚を図った日本軍の方針に従い、従軍画家として度々戦地を訪れた。
戦闘場面などを生々しく描写した「戦争画」を精力的に描いた。
1945年、終戦によって藤田は「戦争協力者」として大きな批判を受けた。失意の中、昭和24年(1949)に日本を離れ、アメリカを経て50年にフランスへ戻る。
以後、日本には帰らず、55年に仏国籍を取得。59年にはカトリックの洗礼を受けてレオナール・フジタと改名した。晩年は人に会うのを避けてひっそりと暮らし、昭和43年(1968)1月29日、チューリヒで死去。81歳。
ナレーター
◆大沢たかお
俳優 1968年生まれ。
’87年モデルデビュー。
’94年、ドラマ「君といた夏」で俳優デビュー。
映画「世界の中心で、愛をさけぶ」(04/行定勲監督)では主演を務める。
「解夏」(04/磯村一路監督)では日本アカデミー賞優秀主演男優賞を受賞。
「地下鉄(メトロ)に乗って」(06/篠原哲雄監督)では同優秀助演男優賞を受賞。
2009年、2011年ドラマ「JIN-仁-」では脳外科医の主人公を熱演。
編集後記
ディレクター:西嶋 真司(RKB毎日放送)
「戦争と芸術」という巨大な主題から何に焦点を絞るべきか、戦争期の画家と絵画をテーマに4年に渡って民教協スペシャルの企画を提出しながら考え続けた結果の番組です。
今回は藤田嗣治が残した未公開の手紙に特化し、藤田の肉筆を全面に打ち出すことで戦争を生きた画家の実像に迫りました。
画家は、なぜ戦争を描いたのか―戦争という時代に芸術至上主義を貫いた藤田の心情を手紙から抜粋することで、これまで伝えられなかった藤田像の一端を浮かび上がらせることができたのではないかと思います。
戦後、多くの戦争画がアメリカに渡り、藤田の代表作をはじめ殆どの作品の所有権が未だにアメリカにあることや、フランスに渡った藤田がレオナール・フジタと名前をあらため「嗣治」という日本名を捨てたことなど、他にも番組で描きたいことが多々あったのですが、手紙を読み解くという本来の目的に沿って手紙から遠ざかる内容はカットしました。
6通の手紙の他にも、藤田が疎開先で描いた素描などは思わぬ発見でした。凄惨な戦争画とは違った画家の一面を垣間見ることができました。
戦争の終結から70年近くになり、日本人の中から戦争の記憶が薄れるなかで、「空白の時代」とされた戦争期の美術史と、日本の歴史を見直すことができれば幸いです。