2009年2月11日(水・祝)10:30~11:25(テレビ朝日OA) 熊本放送制作
与論島から三池炭鉱への移住が始まったのは明治33年でした。台風による未曾有の被害に遭った島民たちは、慢性的な労働力不足だった三池炭鉱の誘いに応じて海を渡ったのです。それは、生き延びるための移住でした。彼らにあてがわれた仕事は「ごんぞう」と呼ばれる荷役作業員でした。高収入が得られる採炭現場とは無縁の石炭運び。重労働、低賃金でしたが、与論の民は懸命に働きました。その一方で、周囲からは冷たい視線があびせられます。言葉をはじめ与論の風習を大切にしていた彼らの暮らしぶりが、周りの人には奇異に見えたのかもしれません。日本の近代化のけん引役だった炭鉱を、与論の民は底辺で支えてきたのです。三池炭鉱では、囚人や強制連行された中国人が働いた歴史もあります。また、落盤、火災事故で多くの人たちが犠牲になっています。
「炭坑節」の歌詞には、高い煙突から出る煙をけむたがる月が登場します。取材を進めていくと、高い煙突が「日本の近代化」、お月さんが「与論の民」など炭鉱を底辺で支えた人たちと重なってくるのです。大牟田市の大蛇山祭りで「炭坑節一万人総踊り」が行われ、与論会の50人が参加しました。彼らは叫びます。「ユンヌンチュ(与論人)の生き様を伝えたい」。
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