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東日本大震災・東京電力福島第一原発の事故から11年が過ぎた今も、ふるさとで暮らすことはできません。震災で妻と父親、次女を亡くした木村紀夫さんは、長女の舞雪(まゆ)さんと長野県白馬村で避難生活を送っていました。妻と父親の遺体は発見されましたが、次女の汐凪(ゆうな・当時7歳)さんは行方不明のまま…。自宅のあった福島県大熊町は帰還困難区域で避難指示が続き、住民の立ち入りが制限されるなか、毎月、長野県から車で片道6時間かけて、汐凪さんの捜索に通います。遺骨の一部が見つかったのは震災から5年9ヵ月後でした。
自宅のある場所は、中間貯蔵施設の敷地になっています。福島県内の除染作業で出た放射能を含む土や廃棄物を集め、2045年3月まで保管する施設です。ただ、最終的な処分をどこでどうするのか、見通しは立っていません。木村さんは、地区のなかでただひとり、国による土地の買い取りに応じていません。汐凪さんが眠る場所であり、家族と過ごした大切な場所だからです。自宅の周辺を整備し、田んぼに菜の花を咲かせて、家族との思い出の地を守ってきました。
2019年春、舞雪さんは東京の専門学校へ進学し、木村さんは、いわき市に引っ越しました。「震災体験から得た教訓を未来に残したい」と、若い世代に向けた伝承活動をスタートさせます。現地で案内するスタディ・ツアーのほか、オンライン授業も。2021年12月には、長野県の高校と結んで現地の様子をライブ配信。汐凪さんが通っていた小学校や遺骨が見つかった場所、自宅の跡などをめぐり、自らの経験や原発事故の後の世界をどう生きるのか、問いかけもふくめて2時間の授業を行いました。
インフラの復旧や経済再興ばかりに光があたるなか、喪失と復興の狭間で揺れながら、亡き娘の命と向き合い、原発の町からメッセージを伝え続ける木村さんの歳月を辿りました。
編集後記
ディレクター:手塚孝典(信越放送)
春から夏にかけて吹く海からの風は心地よく、秋から冬になると穏やかな海辺の町を荒涼とした景色に一変させる。東日本大震災・福島第一原発の事故から11年。放射線量が高く帰還困難区域になった福島県大熊は立ち入り規制が続き、住民は国の許可がなければ自宅に帰ることができない。
子どもたちと自転車で走った山は跡形もなく切り崩され、放射能に汚染された土が埋め立てられる。自宅は、福島県内の除染作業で出た放射能をふくむ土や廃棄物を30年間保管する中間貯蔵施設の敷地になっているが、地区でただ一人、国が進める土地の買い取りを拒んでいる。亡くなった家族が寂しくないようにと慰霊碑を建てた。少しでも命の営みが感じられる場所にしたいと、自宅の周りを手入れする日々。重機の持ち込みは認められず、荒れ野に鍬をふるう。手を休め、次女・汐凪さんが遺した鍵盤ハーモニカを取り出す。鍵盤には亡くなった妻・深雪さんが書いたドレミの文字がある。思い出の曲を練習するが、なかなか上達しない。娘の遺骨の一部が見つかったのは、震災から5年9カ月後。自宅の近くだった。「原発事故で避難指示が出て捜索できなくなってしまった。あのまま捜索を続けていたら、助けられたのではないか」心に刺さったままの棘が、時折、痛み出す。
終わらない原発事故のなかで生き、折り合いをつけることができない現実と向き合ってきた歳月。その残酷な現実を、木村紀夫さんは生きていた。これだけの事故があっても、責任の所在は曖昧で、エネルギー政策は原発の再稼動ありきで進む。木村さんが生きている時間と社会に流れている時間、放射能が隔てる世界の理不尽さが重くのしかかる。
震災・原発事故10年を前後して、「未来志向」が強調されるようになった。ただ、それは過去の悲惨で不都合な出来事や、復興のストーリーにそぐわないことに目を閉ざすこととは違うはずだ。しかし、実際は、インフラ復旧や経済再興ばかりに光があたるようになり、「復興」の名のもとに、人々が生きた証や記憶は、いとも簡単に消し去られようとしている。木村さんの伝承活動は、国や県や町、学校では語られない、ある意味、私的な震災と原発事故の体験だ。だからこそ大切なのだと思う。家族やふるさとを失くした人たちが発する小さな声に耳を澄ませ、それを共有できる社会が必要なのだと痛感する。
喪失と復興の狭間で葛藤し、もがきながら生きる木村さんは、声高に何かを訴えるわけではない。あの場所に留まり、あの場所から、静かに、原発事故のその後の世界をどう生きるのか、問いかけている。