#124 水俣・ふたりの工房

2018年2月17日(土)(テレビ朝日 放送) 熊本放送制作  協力 文部科学省/独立行政法人 中小企業基盤整備機構

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水俣市にある「はぐれ雲工房」。
代表の金刺(かなざし)潤平さん(58)が34年前に始めた紙漉きの工房だ。梶(かじ)など伝統的な素材の他、芭蕉、たまねぎの皮、はき古したジーンズなども紙にしてきた。これら捨てられるもので作った紙は、どれも風合いよく、魅力にあふれている。2002年には、熊本の特産、イグサを使った紙づくりに成功した。

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かつては自然と共存し、ものを大切にし、リサイクル社会だった日本。暮らしの中から馬得る工芸は、日本の大切な文化だと、潤平さんは思っている。
妻の宏子さんは、潤平さんの紙を横糸に、自ら育てた綿でつくった糸を縦糸に「紙布」を織る。それらの糸は、マリーゴールド、桜、藍など、自宅の畑の木や草で優しい色に染められていく。かつては、身の回りのものだけで、暮らしが組み立てられていた。昔の暮らしには、多くの知恵が詰まっていたと宏子さんは考えている。

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金刺潤平さんは大学卒業後、胎児性水俣病患者と全国から集まった若者がともに学ぶフリースクールを手伝うため、水俣にやってきた。学校のテーマは「ポスト水俣病の暮らし」。
若者たちは、自ら畑を耕し牛を飼いながら、自然と共生する暮らしを摸索した。

宏子さんは潤平さんに一年遅れて水俣にやってきた。

公害の原点とも言われる水俣病。
ふたりのものづくりは、水俣でスタートした。

ふたりのものづくりと暮らしを追う。

編集後記

ディレクター:井上佳子(熊本放送)

金刺潤平さん、宏子さん夫婦は、心強い同志である一方、仲のいい友達のようでもあります。海外をあちこち駆け回る潤平さんと、水俣の工房を拠点に創作を続ける宏子さん。お互いに刺激し合い、補い合って創作を続けています。

大学卒業後、潤平さんは静岡から、宏子さんは大阪から水俣にやってきて、「ポスト水俣病」の暮らしを摸索しました。ふたりはその後、水俣で工芸家となり、「ポスト水俣病」の摸索は、それぞれの創作に引き継がれました。
潤平さんは、今も日々揺れ、悩みながら創作を続けているそうです。一方の宏子さんはいかにして停滞せずに進歩していけるかに毎日心を砕いているそうです。水俣の工房は、糸車を回す音と、紙を漉く音だけが聞こえます。ずっと理想を追い求めているふたりは、いつまでも若く、とても幸せそうに見えました。

番組情報

◆水俣浮浪雲工房
【住 所】熊本県水俣市袋42
【電 話】0966-63-4140

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