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2010年8月28日(土)(テレビ朝日OA) 山口放送制作
25歳で視力を失いました。27歳で陸上を始め、31歳からフルマラソンに挑戦しています。山口県下関出身の視覚障害者ランナー・中野美里さん33歳。今、美里さんは、笑顔で生きています。美里さんの病気は、日本人約3万人に一人の割合で発症するという膠様滴状(こうようてきじょう)角膜ジストロフィーです。角膜にアミロイドという物質が溜まり、視覚障害を起こします。視力は0.01以下。光は微かに感じるものの、形を正確に捉えることはできません。夢を諦め、絶望に打ちのめされる日々がありました。しかし、走ることを始めてからは、前向きになりました。美里さんは目標に向かって、生きています。「走ること」で、多くの人と出会いました。人とのつながりが、美里さんを強くしていきました。美里さんにとって「走ることは生きること」。新たなスタートラインに立つために、走り続けます。
◆乗り越えられないものはない
◆社会に必要とされたかった
◇ディレクター:青木 伸憲◇
会社に向かう途中の交差点、信号が赤に変わり、車を停車させた。50メートル前方の歩道を見ると、白い杖を右手に持ち左右に振って歩く視覚障害者の男性の姿があった。10代と思われる男性は、にこやかな表情で歩いていたが、余裕は感じられなかった。
横断歩道の信号が青から赤に変わった。
男性は横断歩道の手前5メートルのところで立ち止まっている。男性の前には街路樹とガードレールがある。
車の窓を開けて「横断歩道は5メートル先ですよ」とは声をかけなかった。この日、美里さんの取材に出かけた。取材を始めて2年になる。
「失敗をして覚えるのです」中野美里さんから聞いたことがある。「何でも手助けをされると、いつでも、どこでも人を頼ってしまい、自分で出来ることも出来なくなる」美里さんと同等の視覚障害で、自立することを目指しているのであれば「自分のことは出来る限り、自分でやる。出来ない時だけ、声に出して手助けをしてもらう」25歳で視覚障害になった美里さんはそうやって生きてきた。
あの彼にも強く生きてほしい。
いつも笑顔の美里さんには、取材の度に元気をもらった。美里さんに会って前向きになった。
「自分なりにがんばることが大事です」
次のスタートラインを探して、がんばろう。新しく番組づくりを始めよう。
ありがとう、美里さん。
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